Wi-Fi飛んでる? 神さまって信じてる?

音楽・マンガ・映画・その他 いろいろ感想をメモしておくブログです。

『竜とそばかすの姫』

★★★★☆

日本のアニメ映画の、良いところもダメなところも全部盛りして上から背脂た~っぷりかけた濃厚豚無双ラーメンミュージカルトッピングです!ウッヒョ~~!! ……みたいな映画だった。これはずばり、カルトだと思う。

とにかく、「何だこれ!?」だ。高知の田舎を舞台に繰り広げられるシットリした高校生たちの日常へ、怪物の爪で引き裂くように目を疑うほどド派手なインターネット世界が侵食してくる。登場人物たちが「ふーん」レベルで認識している世界観がそもそもすごすぎて、最後まで頭の中で処理できない。描かれるようなVR空間の設定、そして「バーチャルシンガー」の概念とかは、準備が3年前であっただろうことを考えると脅威的なくらい2021年にマッチしていて、花譜などが登場していなかった時期にここまで言い当てていたことは見事だと思った。それでも、高知シーンの見事さから比較すればインターネット世界の浮わつきぶりは半端じゃなく、描かれる出来事自体は現実社会(やネット)でも起きていることのはずなのに、自分が知っているはずの現実とはどこかが決定的にズレていて、スクリーンの中の世界と一致しない。そのズレを最後まで修正できないのだ。ネットの中傷に声がつくとこうかなぁ? 世界のセレブ達ってそんな風に揉めてるっけ? ていうかインターネットってこんなに怖いっけ?(怖さの方向性がちげーよ!)だいたい、VR空間でのアクションが主人公たちとどうやって同期しているのかの、その説明すらないのだ。どうやってあの空間を走り回ってるの? つーかログアウトするだけじゃダメなの…? もしかしたら「U」の世界そのものが、登場人物たちだけ(高知県民と東京都民)が同時に観ている強めの幻覚だったりしない……?

こんなことを挙げていくとキリがないんだけど、ベルがなぜ竜に惹かれたのか、竜がなぜあんな広大な空間に広大な城をもって隠れていられるのか、なんでしのぶ君やコーラス隊がベルを認識しているのか、いろいろ凄すぎるヒロちゃんが何者なのか、何っっっ一つ説明がない。調べてみたらやっぱり問題になっていたらしい「虐待」の描写についても、このこと一つで映画の評価をひっくり返すとまでは僕は思わなかったけれど、やはり観ていて引っかかってしまった。ていうかこの映画、脚本とかあんのかな。頭からいきなり絵コンテを描いている気がしてしまうな……。

そして細田守がずーーーっと公言してきたディズニー版『美女と野獣』リスペクトが、あまりに、あまりにも直接的すぎて、見ているこちらがこっぱずかしくなってしまった。主人公の名前がベルで、デザインをディズニーの人に頼んで、まさか大広間で踊り出さねーだろーなと思ったら恥ずかしげもなく……。「自分が尊敬する偉大なものを、自分自身で産み直したい」というような欲望にまみれた作品は、ある程度成功を収めたアニメ監督なら誰しも通ってしまうのかもしれないけれど(宮崎駿なら『紅の豚』、新海誠なら『星を追うこども』。ちなみにどっちもマイフェイバリットです)、こんなにスケールでかく露骨にやっちゃった人って前代未聞ではないか。なんか羞恥でスクリーンを観れなかった……。

ところが、だ。

まず冒頭からいちいちテンポがいいのだ。特に最初の高知パートの見事さといったらない。セリフ自体は大したことないのにカットひとつ、動きひとつ、キャメラひとつでここまで感情が伝わってくる。ヒロちゃんが怒涛のように退屈な説明ゼリフをくっちゃべるシーンも、すずがそこにスッと立っているだけで(カット割りとそのタイミングだけで)ぜんぜん嫌な感じにならない。古くさい少女マンガでもやらないような幼なじみイケメンをめぐる嫉妬劇が、しかもおおよそ映画館でかけるようなものではないゲーム画面パロディで処理されていくのに、劇判と効果音とセリフの、まるで音楽のようなテンポの良さで何となく許されてしまう。お得意のワンシーン・ワンカットは相変わらず見事で、JR駅のあのなが~いシーンなんて細田守の過去最高の瞬間の一つではないか。文字に書き出したら正直稚拙なセリフも多い中、たった1秒のカットバックがどんな雄弁なセリフよりも鮮烈に少女の克服を描き出す。「いやいや、ここで全員集合しててダレも突っ込まないなんてありえねーだろ!何だよこのシチュエーション!」って場面がきてしまっても、もはや誰もそこに触れるのはヤボだとすら感じてしまう、その「映画力」の強さ……はんぱない!!

こういう、「説明不足」「背景不足」「強引」「ダサい、古くさい、時代遅れ」「感情が(少なくとも脚本上において)描けていない」「サムいテンプレ、サムいギャグ」「とってつけた現代要素」「必要のない芝居じみた説明セリフ」「無意味な過去作品リスペクト」といったものは、端的に言ってここ10年くらいの日本のアニメーション映画を残らずダメにしてきた要素で、この映画はまさにそういったもののフルコースだ*1。なのに、それを監督自身の「映画力」で全てねじ伏せてしまっているのである。何という才能だろう。褒めちゃダメなのかもしれないし、僕はそれでも好きではないし、「クソじゃん」と烙印を押すのは簡単ですが、だとしても「こんなに映画として夢中にグイグイ観れちゃった」ら、もう白旗を挙げるしかなくない? 頭が「??」なままストーリーの理解を拒絶していたって、こんなに面白いんだもの。すごすぎる。ある意味、細田守は、「映画監督」として、今この瞬間においては、宮崎駿すら凌駕したんじゃないか……。

そうでなくとも、「ファミリー映画(家族の映画、ではなく)を撮らなければ」「ポスト・ジブリにならなければ」「優等生でいなければ」みたいな枷から完全に開放され、思いっきり羽を伸ばし、半ば(いや、完全に)暴走した細田守を観ることができるのは、とんでもなく楽しかったし、そして嬉しかった。間違いなくこの映画はキャリアハイで、創作者として、そして映画監督として脂ののった最高潮の状態にあることは、もはや疑いようがないと思う。そんなタイミングにおいて、ここまで壊滅的な企画(もう「脚本」って問題じゃない……)をやりたくなっちゃったんだな、という所も含めて、「すごい」と言うしかないけれど……。端的に言うと「中途半端じゃない」んですよね。そこに価値がある。かなぐり捨てたものの代わりに得ているものがちゃんとあったんです。細田守は、『バケモノの子』以来言われ続けてきた「ちゃんとまた脚本家をつければ……」みたいなバッドポイントを、自分の得意技でねじ伏せられるほどの「アニメーション映画の怪物」にとうとうなってしまったのだ。完全にクリエイターとしてギアが切り替わった、これほどの華々しいキャリアがありながらさらに一皮二皮もむけてしまった、ていうか「闇堕ち」したんじゃないかと思わせられるような(全体を見通せばそんなはずはないんだけど……不道徳で不埒なハラハラさがある気しない?)、とんでもない映画。円熟と幼稚が同居する狂気! 細田守のこの次の作品、観たいような、観たくないような……。

後世、「細田守最大の駄作」と呼ばれるか、あるいはその逆になるのかはまだわからないけれど、少なくとも僕は、その両方が正しいと思う。これは現時点の細田守キャリアワースト作品で、そして、ドがつくほどの最高傑作だ。

*1:さすがに克服できていないけれど「ポリコレの弱さ」もそう。